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▲川井村産業開発公社の展開 昨日略記したような基本的な構図において、地域活性化の拠点として、86年、川井村産業開発公社が設立された。 当時、岩手県の前沢牛などの黒毛和牛が注目されていた。北上山中には「短角牛」という特産の和牛が飼育されており、川井村も農家に増産を指導していく。だが、91年頃から牛肉の輸入自由化が段階的に施行されていったため、公社は牛肉に替わるものを模索した。その頃、川井村の「生活改善グループ」が健康飲料として、盛んに村民に「紫蘇ジュース」を奨励していた。これに着目した公社は、地元農家に、米の減反された土地に紫蘇栽培を要請していく。 だが、栽培の拡大により、紫蘇が生産過剰になっていく。こうした事態に対し、公社は積極的に営業活動を展開、岐阜県の漬物屋の梅漬け用の紫蘇の受注に成功する。 その後、紫蘇ジュースが定着し始めた頃、「黒豆ジュース」を知り、黒豆ジュースの開発にかかり、合わせて、現在では、この二つのジュースは健康飲料として生協・量販店ルートで一定の事業として成立している。 また、80年代後半に、東京目黒の雅叙園が改築されたが、雅叙園にに保存されていた国宝級の漆器・螺鈿の修復が必要となり、韓国の全龍園氏が中心となり、廃校となっていた箱石小学校で修復作業が行われた。修復作業には韓国から職人が十数人来日、家族を含めると数十人が4〜5年滞在した。川井村には高原野菜の大根・白菜・きゅうりがあり、韓国人の夫人たちはキムチ作りにいそしんだ。こうして人々と村民たちは次第に交流を重ね、全氏の夫人の指導の下「本場キムチ」を定着させていく。このキムチは「友情キムチ」のブランドで一定の評価を受けている。 |
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